『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』


この映画はひとことで言うともうハチャメチャ。
迫力満点で驚きに満ちていて、凄まじくエキサイティングな映像体験。

昔ヒーロー映画で一世を風靡したが、それ以降は鳴かず飛ばずとなった俳優が、舞台俳優として再起を目指すというストーリーなのだが、その落ちぶれ俳優役がティム・バートン版『バットマン』のマイケル・キートンであるという時点で、もう臨場感がハンパないのである。

初日が迫ったギリギリの舞台裏で、共演者の事故や娘の薬物依存や評論家の批評や、もうギャグかと思うほどいろんな悩みがカオスに絡み合い、限界を超えたマイケル・キートンさんの超自我が暴れまわるというすげー映画。

真実か?挑戦か?
この作品の主人公は、人生をかけて挑戦している。

「挑戦」には当然のように大きなリスクが伴うが、挑戦することにリスクがあるのと同様に、挑戦しないことへのリスクも少なからずあるわけだ。

「やらずに後悔するよりもやって後悔」とかいうのをよく聞くが、わかっていながら結局やらない奴は多い。
「やらない理由」なんてものがいくらでもあるからである。

「挑戦」には「無知であること」が必要だと感じることがある。

他人から受ける「それは無謀だ」という言葉で、やる気や情熱を奪われてしまうという経験が誰にでもあるよね。
でも結局「以前に誰かがやって失敗した」とか「それで成功した人などいない」とか、そんな情報は余計でしかない。

だって、これは俺の「挑戦」なんだから!

が、しかしだね。
劇中のマイケル・キートンさんはそんな自分の「挑戦」に、土壇場になってどんどん疑問が湧いてきちゃうから大変なのだ。

自分の作り上げたものが批評の対象となった経験がある人ならわかると思うが、それまで何の疑問もなく創作に没頭していたモノに対し、完成間近になって急に信念が揺らぎ出すといった経験があるはず。

そんな不安感で追い詰められてゆくマイケル・キートンさんの神経衰弱っぷりが、人知を超えた、神をも恐れぬブッ飛び映像で表現される。

たとえば、舞台裏を縦横無尽に行き来するカメラはワンカット長回しで、観客さえもその緊張感に押しつぶされそうになるほど。
さらに、混乱しまくるマイケル・キートンさんの心境そのもののような、フリースタイルのドラムスコアが遺伝子レベルで興奮を掻き立てる。

ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドンッ!(ドラムの響き)と共にマイケル・キートンさんブチ切れ→ファイトクラブ開始。
といった凄まじいシークエンスが怒涛の如く飛び出す。

つまり、もうむちゃくちゃである。
100億点満点!