『バイオハザード:ザ・ファイナル』

0点。


この映画、ひとことで言うとヤル気が無い。
あと、志が低い、頭が悪い、日本人を舐めている、完全なるやっつけ仕事である。

日本で世界最速公開。そりゃそうだ。日本しかヒットしないんだからこんなの。

このポール・アンダーソンとかいう無能なイギリス生まれの田舎者は、ミラ・ジョボビッチというエロい名前の女優と付き合えたことを世間に知らしめたいがゆえに『バイオハザード』シリーズを利用した。

気持ちはわかる。誰もがエロい女と付き合ったらそれを自慢したいはず。うん。でもさ、これはアウト。題材に興味がないのが一目瞭然なんだもん。

5作にもわたって大風呂敷を広げまくっておいて、最終章の上映時間はたったの100分。
このボリュームだけで、もはやヤル気の無さが丸わかりじゃありませんか、みなさん。

そもそも、4作目、5作目は話の途中で終わってるじゃん。ジャンプの打ち切りマンガみてえに、俺たちの戦いはこれからだ!なんて雰囲気で終わる。ということは、続編はその続きからじゃないと意味がないわけ。

前作『バイオハザードV リトリビューション』のラストは、アリス&ウェスカー、ジル、エイダ、レオンという、ゲームでも人気のキャラが一堂に集まるというアツい展開を見せた。じゃあ今回の最終章は、その続きが描かれなければならない。何が何でも。だがしかしだ。ふむ。オープニングで登場したのはボロボロのアリスさんただひとりである。むむむ?これは一体・・・

この冒頭の時点で、俺のテンションはダダ下がりしていくのであった。

「5」まではゲームファンのための作品だったのに、最終章はゲームファン無視。シリーズのファンも無視。全世界を無視。

つまり、これを面白がれるのは、いままでバイオハザードに興味がなかった人ということになる。だはは。なにそれ。死ね。

とにかく、俺たちは15年ものあいだ、監督の嫁(ミラ・ジョボビッチ)のプロモーションビデオに付き合わされてきた。そんなことわかってた。わかってたけど、ゲームファンへのサービスもあったからまあ許してた部分あるじゃん。でも今回は、ゲームとしての『バイオハザード』へのリスペクトも皆無。

原点回帰とかいうわりにゾンビ映画としても中途半端だし、敵は知ってるやつだわ、アリスもアイツも弱すぎるわ、とにかくびっくりするぐらいスケールが小さい。

今までの大冒険も結局なんだったの?という展開でマジで笑えねー。この15年間の熱狂を返せと言いたくなる内容であった(熱狂なんかしてねーけど)。

『ブレア・ウィッチ』

100点満点

1999年に公開し大ヒットしたホラー映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の続編は、2000年公開の『ブレア・ウィッチ2』である。

今回のは3作目。
なのに、宣伝文句では「正式な続編はこっち」などと、傑作である『ブレア・ウィッチ2』が無かったことにされている。

死ね。

評判の悪かったシリーズ作品を無かったことにするのが映画業界の常套手段みたいになっているが、そういうのやめろ。作品はもとより、金払って観に行った観客への冒涜だ。
無かったことにするなら、まず観客全員に返金しろ。それなら勝手に無かったことにしていいが、返金しないならシリーズ作品として責任を持てよカス。

てなわけで、今回のは3作目。
しかし、やってることはほとんど1作目のリメイクみたいな内容になっていて、つまり金をかけて同じようなことをしているのだ。

ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、とある映像制作チームの若者たちが怖い映像撮りたさに「いわくつきの森」に入る。で、戻ってこない。捜索隊が森に落ちていたビデオカメラのみを発見したのでその映像です。という映画だったが、最新作である本作も、そのまんまである。

新たに行方不明になったドキュメンタリー撮影班。で、カメラ発見。映像データに残っていたのは、また例の森でキャンプをする若者が、例によって迷子になり、例によって一人づつ消え、例によって全員死ぬまでの記録でしたとさ。めでたし。めでたし。

変わったのは、犠牲者の数とカメラの数と超常現象の数と予算の数が大幅にアップしたところだけ。

ふむ。すべてが前例通りなのになぜこんなにも怖いのか?
それはもちろん、すべての事象が意味不明だからである。

もうね。マジで意味不明。混乱した人が怖い目にあってわーわー言いながら撮った映像なので、当然カメラにはほとんど何も映ってないし。
森と、バカ話と、仲間割れと、森と、泣き言と、森と、叫び声と、森。

映っているのはこれくらい。いや、森が映っているだけで怖いのなにこれ?
あと、ラストには、とんでもないモノが映るよね。そりゃあ出てくる。あれ。1作目のラストにも出てきた「あの場所」。

新作と言いつつ、やっていることも結末もすべて1作目と同じなので、意外性も無ければ謎も解明されない。つーか、もはや謎なんかひとつもねえ。
「森に入ったらいなくなる」これがすべて。なぜか? そういうキマリだから。説明おわり。

世界にはそういう「キマリごと」がある場所がいくつかあって、そこに答えを見つけようとしたらダメだよって映画なのだ。
人間の常識が通用しない場所に踏み込んだ絶望感。これこそがブレア・ウィッチの真骨頂。
観て、絶望のクリスマスを過ごせ!

『オーバー・フェンス』


(c)2016「オーバー・フェンス」製作委員会


100点満点

最近、芸能人のみなさんの間で、犯罪やら不倫やらの発覚で人生台無しにするのが流行っていますが、「それもまた人生じゃん!ドンマイ!」などと、彼らの第二の人生を微笑ましく応援したくなる映画を観ました。


函館を舞台にしたオダギリジョー主演の人間賛歌で、スクリーンの中に自分自身が入ってしまったかのような臨場感の作品です。
なんというか、劇場内の明かりがつくまで、自分が映画を観ていたことにまったく気づかない感じ。こんなに味わい深い作品は人生でなかなかお目にかかれないんじゃないかってほどの傑作。

オダギリジョーさんは、第二の人生を歩むために、ゼロからやり直そうと職業訓練校に通う中年です。たぶんなんかあったんでしょう。学校内でも孤高の存在で、プライベートでも当然ひとりぼっち。あえて、孤独でいようとし続けている雰囲気で、まるで贖罪でもしているかのような禁欲的な生活を送っています。

で、蒼井優演じる「変な女」と出会います。この女がかなり変で、たぶん精神的な病気。周囲からもキチガイ扱いされている。
そんな、社会からちょっとだけ外れている二人によるラブストーリーがこの作品の核になっております。


ふむ。傷だらけの男女による恋愛の緊張感というか危うさってたまんないですよね本当。一歩間違うと破滅的にも見えるギリギリの恋愛模様が展開。で、その恋愛がスリリングであるゆえに、セックスシーンなんかはもう眩暈がするほどエロいです。たまりませんマジで。


あのね、第二の人生ってのは、文字通り「第一の人生」を捨てることが第一歩じゃないですか。作中には、この2人以外にも越えなければいけない過去がある登場人物がたくさん出てきます。
踏み出さなくてはいけないことはわかっているんだけど、どうしても越えられない。理屈じゃないんです。過去の自分が犯した罪の重さに押しつぶされているんだからしょうがない。

決して生易しい物語ではないし、職業訓練校でのエピソードなどは厳しくて現実的な展開です。しかし、ラブストーリーの語り口だけ妙に寓話的で優しさに満ちている。そこが見どころ。

ああ、一回くらい間違ってもいいんだ。全部無くなっちゃったって、人生はきっとやり直せる。なんて。
誰もが生きる勇気をもらえる希望に満ちた作品です。



『オーバー・フェンス』
監督 山下敦弘
出演 オダギリジョー×蒼井 優×松田翔太  

海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』に続く、孤高の作家・佐藤泰志原作 函館三部作 最終章
2016年9月17日ロードショー

『君の名は。』

100億点満点


「恋に恋い焦がれ恋に泣く」というのはGLAYのヒット曲のフレーズだが、この映画に使われているのはRADWIMPSの楽曲である。

「君の前前前世から僕は 君を探しはじめたよ、君が全然全部なくなって散り散りになったって もう迷わない また1から探しはじめるさ」だと。がはは。たまんねー。なにこのロマンチックな歌詞。

これ、オープニングで流れます。とんでもなく美しい映像で、空から隕石が落ちてくる。「はっじまっるよー!」なんて叫びながら。もちろん始まるのは、今世紀最大級のドキドキとワクワク。完全無欠のラブファンタジー

「恋」ってのは隕石なんですよ。自分の世界に突然落っこちてきて、すべての常識を破壊する隕石。それが「恋」。
恋しちゃったらあんた、価値観ぜんぶ変わるからね。見える世界がことごとく変わる。これ、そんな映画。

大胆で繊細なストーリー展開。ファンタジックな内容でありながら、人間ひとりひとりの演出はしっかりリアル。そんへん、ずっとコミュニケーションについての作品を作ってきた新海誠監督の真骨頂です。
で、恋愛表現の絶妙さね。「恋のはじまり」は「夢」からはじまるというロマン溢れる演出が見事。よくあるじゃん。別に気にしてなかった女の子が、突然夢に出てきたら、その日から急に気になりだすこと。

主人公の男の子と女の子は、夢の中で入れ替わる。ぜんぜん知らない場所に生きている全然知らない相手なんだけど、夢の中だけで彼らは繋がる。誰かわからないけど、そりゃあ気になるよね。気になりまくる。いいなあ。最高だね。俺なんか夢に出てきた人をすぐ好きになっちゃう傾向あるからね。もうみんな好き。

彼と彼女が入れ替わるシーン、性格の違いや田舎と都会という環境の対比、それぞれの人間関係なんかがクロスオーバーする展開が超楽しい。ほんと、恋してるときのあの感じ。毎日がお祭り騒ぎみたいな充実感と全能感。

あのね、クライマックスは俺ずっと泣いてました。この2人の間には、ある重大な秘密がある。秘密というか大きな壁が立ちはだかるんだけど、そこを「恋」は超えてゆく。これはもうみんな経験あると思う。「恋」が自分の力以上の障害を乗り越える感覚っていうの。「恋」にはそんな強大なパワーがある。
で、そんな「恋」のパワーの恩恵を受けるには、自分自身も人生賭けてそこに挑まなければならない。逃げてちゃダメなんです。人を好きになるってそういうことなんだよなあ。

君の名は。』は、誰もが経験する「恋」の突破力を死ぬほどロマンチックに描いた作品です。マジで。いくつになっても「恋」は甘酸っぱくて切なくて素晴らしいよね。そんなものは年齢関係ないのだ。俺は40過ぎても、西野カナ井上苑子なんかを聴いて真顔でキュンキュンしているわけだが文句あるか!

『シン・ゴジラ』

問答無用の100点満点!

観に行かない奴は映画ファン失格!観て興奮しない奴は怪獣ファン失格!観て勃起しなかった奴は人間失格
つまり今世紀ナンバーワン!この映画さえ観ておけば、もはやすべての映画は不必要だと断言してしまうくらいの超絶傑作なのである。

物心ついたときから「ゴジラ」なんてものは子供向け怪獣映画にすぎなかった。なんせお正月映画で『とっとこハム太郎』と同時上映になっていて、ハムスターのくせに日本語が理解できて、飼い主よりも人生経験豊富で、同居しているペットの犬(どんちゃん)を部下のように扱うハム太郎のほうがゴジラなんかよりもよっぽど恐ろしい。もし「ハム太郎VSゴジラ」が実現したとしたら、おそらく仲間のハムスター1億匹くらいを引き連れたハム太郎連合軍によってゴジラなんかあっさり始末されそうなほどであった。

いや、今回は違うんだってマジで。

シン・ゴジラさんは、今までのイメージである「愛すべきキャラクター」、「破壊者であり守護者でもある存在」みたいな軽薄な雰囲気は皆無。あのハム太郎ですら、出会いがしらに踏みつけられ「へけ!」なんて言うヒマもなくぺちゃんこ必至。

つまりヤバすぎるのである。
巨大生物としての恐怖と存在の忌まわしさ、圧倒的な破壊力、そしてなにより姿カタチが超気色悪い。

「死臭、もしくはウンコのニオイがしそう」と言えば伝わりやすいだろう。

そんな、今世紀最大にハタ迷惑な存在が東京に上陸したら、政府はどうするのか?
わかんない。劇中、国のお偉い方は「もうわかんないどうしよう」って感じで混乱しまくるリアル。しかし、わかんないなりになんかする。テキトーに手を打つわけだが、そのテキトーさが我が国らしくて、さらにそのテキトーな感じで乗り切れちゃいそうなところも我が国らしい。ゴジラ対策本部のみなさんが右往左往して会議しているシーンがとにかく面白い。

観たら確実に「日本すげー!」ってなる。これはもういろんな意味で。日本の柔軟さというかイイ加減さが、災害時に生かされることもあるんだなあなんて。半ば呆れつつも、微笑ましくもなる感じ。俺も日本人なんだなあ。

2014年のギャレス・エドワーズ版ハリウッド『ゴジラ』などとはまるで違うスペクタクル。描かれているのは、人間でもゴジラでも戦争でもない。「日本」という国そのものだ。

よって次の選挙では、「ゴジラ上陸災害対策」を掲げた党に票を入れることに決定!

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『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』


100億点満点!

 最高に面白い映画をひとつ挙げろと言われたら、俺は迷わず『アベンジャーズ』と答える。

 たとえば、俺は幼少時代にウルトラマンを見て魂が震えた。ものすごいパワー、空も飛べる。必殺のスペシウム光線は最強武器だ。当時は「いけ!ウルトラマン!」などと声援を送りながらテレビにかじりついていた。そして、大人になった今も「いけ!アイアンマン!」なんて言いながら、映画館で一喜一憂している俺がいる。
トニー・スタークは鋼鉄のアーマーを装着して、悪者をやっつける。ものすごいパワー、空も飛べる。手のひらから出るレーザーブラスターは破壊力抜群。胸のアークリアクター部分からも必殺ビームが出るから驚き。ふむ。ウルトラマンを見ていた時となんら変わらない。アイアンマンの活躍を見ている俺は、いつも心が震えまくっている。いや、アイアンマンだけじゃない。マーベルヒーローたちを見る時はいつもぶるぶると震えて、興奮で身悶えしている。
キャプテン・アメリカ。通称キャップ。アントマンスパイダーマン、超能力で戦うヴィジョンやスカーレット・ウィッチ、人間なのに超人的な強さのブラック・ウィドウやホーク・アイ。最新鋭のメカを身につけて大活躍するファルコンやウォーマシン。そんな正義の味方たちが集まったチームが「アベンジャーズ」である。

で、そろそろ本題に入ろう。
最新作『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』は、なんとこのアベンジャーズが分裂してバトルをするのだ。悲しい。と同時に興奮を隠せない。最強のチームが紅白戦をすると、どんなバトルになるのか? 
もちろん想像を絶するとんでもないバトルになる。驚きの連続。禁断の争いだというのに、心は快感に満ちている。ウインターソルジャーと新顔のブラックパンサーも加わり、バトルはますます複雑に入り組んでいく。映画館が戦場になる。俺たち観客とスーパーヒーローたちがしっかりと繋がる。俺自身の信念や愛情、自由、孤独、人生そのものと結びついて、いつのまにか俺は歴史の頂点にいる。映画史の頂点。ラストにはすべての映画ファンを導く革新的な啓示が訪れる。いつの間にか俺は涙している。アベンジャーズの今後の行く末を想像し、希望と興奮に身悶えしながら、「ウルトラマン」に魅せられたあの頃を思い出す。
人生は素晴らしい。