『劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』


 『魔法少女まどか☆マギカ』は、魔法少女という萌え素材を扱っていながら、根底にSFの基本要素があり、また生と死をためらわずに表現しているというところが、制作サイドの媚びない姿勢を感じさせるので好きだ。


テレビシリーズはとことん悲惨な作品で、前半は「少女たちがキュートな衣装に身を包んで命のやりとりをする」というキチガイじみた設定に興奮したものだ。

しかし中盤以降に物語はより一層の悲惨さを醸し出す。

魅力あふれる少女たちとカワイイ動物キャラなんかが、カラフルでファンタジックな世界でわーわーやってるのに、それは「絶望」の具現化なのだ。

「絶望」を堂々とエンターテインメントにしてしまうこのセンスはマジで凄い。


 で、本作は、絶望からほんのちょっとだけ救われたテレビ版のラストの続きだが、映画版はオープニングからすでに絶望感が漂っていたりする。

あーあ。また始まるのか。。。

なんてタメ息をついてしまうほど気分が乗らない。

そんな映画をなぜ観に行ったのかといわれたら、もちろんそれがこの作品の「楽しみ方」だからとしか言い様がない。

どうせ、いい事が起きるなんて誰も期待していないのだ。

間違いなく、俺たちは「絶望」を観に来たわけ。

前半は幸せそうな少女たちの姿が描かれ、たとえそれが「嵐の前の静けさ」だとわかっていても、とても微笑ましい。

このまま幸福でいて欲しいな。。。

しかし、SFミステリー展開の中盤以降は、容赦なくドン底まで一気に落ちる。

そして、やはりそれも自分が望んでいた展開であったことに気づく。

笑顔の少女とその後に訪れる「絶望」は対となっている。

幸福があるから不幸があり、逆に言えば不幸がなければ幸福など存在しないのである。



※「暁美ほむら」という存在の切なさと共に、劇場版では「美樹さやか」がとても魅力的だった。



※「キュゥべえ」は恐ろしいが、なぜか言っていることは正論なので思いっきり共感してしまう。このひと(なんか、変なネコみたいなやつ)のやっていることが、実は一番優しい気がした。