『マラヴィータ』


 この作品の素晴らしさは、現代社会がマフィア社会以上に殺意の湧く世界だということに気付かされるところにある。


学校、役所、近隣の住人との付き合い、なにから何までイラつくことばかりで、マフィア親子のみなさんはストレス溜まりまくり。


気の食わない奴はブン殴って、リンチして、最終的には処刑してしまうようなマフィアの世界のほうがよっぽど健全というか。


いじめやらレイプやら水道汚染やらにも、事を荒立てずに耐えなければならない市民生活に、単純明快な世界で生きてきたデニーロさんやミッシェル・ファイファーさん方がキレまくるカタルシス満点のストーリーは悶絶モノである。


政治家の横暴や原発問題で好き勝手やられても、泣き寝入りするしかない俺たちにとって、マフィアの世界のストレートな暴力は憧れなのだ。


 この作品には、マフィア映画ファンであれば悶絶モノのギャグが展開する。


そもそもマフィア映画の楽しみというのは、日常的な命のやりとりの緊張感だけでなく、その世界の様式美というか、組織やボスを重んじる厳格さ、生き方や信念を曲げないタフさみたいなものに陶酔すること。


マフィアは足を洗っても、やはりマフィアであり、デ・ニーロさんはおじいちゃんになっても、ヴィトー・コルレオーネであり、ジミーであり、アル・カポネなのだ。


彼の存在そのものがマフィア映画だと再確認させられた素晴らしい演技だった。



リュック・ベッソン、相変わらずの軽薄さだ。職人芸とも言えるスッカラカンな作風は、もはや感動モノである。