『アメイジング・スパイダーマン』
スパイダーマンの次世代バージョンが登場だよ!
本当にね、俺はスパイダーマンが死ぬほど好きなのだ。
スパイダーマンを観てない奴となんかコミュニケーションとりたくないってくらい、俺の中でスパイダーマンは聖典なわけ。
スパイダーマンはね、なんとなく他人事じゃないところが好き。
アメコミの最高峰だけど、主人公のピーター・パーカー君の不器用さとかマヌケさとか、いつも迷ってるとことか、とにかく身近な存在なところ。
あと、毎回敵が純粋な悪じゃなくって、もともと傷を持っている善良な人だってところも凄く惹かれる。
にっくき「敵」というよりも、ピーター君を成長させるための「試練」として立ちはだかる感じが、なんか人生みたいでぐっとくる。
そんな我が親愛なる隣人『スパイダーマン』が、ぬわんと監督降板でシリーズ全面改装となってしまった。
そのリニューアル作品が、本日公開した『アメイジング・スパイダーマン』である。
人間味があって不器用で、とっても身近な存在であったはずのスパイダーマンことピーター・パーカー君が、スマートで器用な完璧なヒーローとして生まれ変わった。
この作品は、前3作のスパイダーマンにおける、登場人物の感情表現や演出の細やかさなどの、いわゆる奥深い部分がすべて無くなっている。
とにかく新しいピーター君は、正義感は強いが軽くて要領が良いので、悩みや葛藤がなくってサクサク展開が進む。
イライジャ・ウッドのピーター君だったら、絶対しないような言動をガンガンキメてくる。
つまり、基本設定はほとんど同じなのに、登場人物の捉え方がまるで違うのだ。
これを軽薄だと切り捨てる人もいるかもしれないが、俺はまるで違う印象だった。
思春期には、こんな軽薄さも若者のひとつの要素だったのではないだろうか。
俺たちはいつのまにか大人になり、常識・非常識で物事や思考を分けてしまってはいるが、この作品は当然のようにティーンエイジャーの物語である。
オッサンが、彼らの考え方にとやかく言える筋合いはないのだ。
新監督マーク・ウェブは、このシリーズに「若さ」を注入したんだと思う。
傑作である『(500)日のサマー』で見せた、甘酸っぱさやチクチクする切なさ、そして無限に広がる未来への希望。
悩んでいた昔のスパイダーマンではなく、現状を楽しもうとしている若きスパイダーマンがそこにいる。
スゲエ!
こんなスパイダーマンがいたんだ!って感じ。
もうクライマックスでは感動のあまり涙まで流してしまったほど、この作品はもう正真正銘のスパイダーマンなのである!
※エンドロールに関して
叩かれるとわかっていても、どうしてもやらなきゃいけないこともあると思うから、日本人アーティストのプロモーションにしてしまったことに関しては許す。
先日テレビで放映した『スパイダーマン3』でも、ベンおじさんの仇でもあるサンドマンを、ピーターは許してたし。
しかし、ハリウッド大作のエンドロールに流すにはあまりにもダサすぎないだろうか。
曲は頑張っていたかもしれないが、はやりアレンジがどう見ても田舎臭い。
もうちょっとマシな楽曲がなかったのかと切なくなった。
せめてエアロスミスぐらい、豪快に魂を売り飛ばした曲を用意してほしかった。