『フェイクシティ〜ある男のルール〜』

 めったやたらと人が死にまくる映画は楽しいが、それは別に「死」そのものを楽しんでるわけではなく、あくまでもヴィジュアルとしての「死に様」を楽しんでいる。
映画の殺戮シーンが好きだからって、現実の殺戮風景を笑って見れるかというと、答えは当然ノーである。


しかし、現実だろうが映画だろうが、人の死に様に一種の精神的魅力があるのは事実である。
たとえば、ニュースなどでとんでもない死に方をした不運な人の情報を聞くと、不謹慎ながらも好奇心をくすぐられてしまう。
バカバカしい死に方、自業自得な死に方、陰惨な死に方、同情せざるをえない死に方。
人によって実にさまざまな死に方があるわけだが、死に様は派手であればあるほど人の心を掴む。


エレベーターに乗り込もうとしたら、エレベーターが到着してなくてそのまま落下して死んだ人がいた。
これはとても報われない死に様でありながら、同時に笑えてしまう死に方でもある。
昔『ダウン』という呪われたエレベーターを描いたホラー作品があって、まさにソックリのショックシーンがあった。つまり、この死に様は、映画の演出としても効果抜群の派手な死に様なのである。


話がそれてしまったが、映画の劇中における殺人シーンの重要性を語るうえで、『フェイクシティ〜ある男のルール』のアイデア豊かな殺人シーンの数々に触れずにいるのは困難である。


ジェイムズ・エルロイノワール作品なので、お約束のように人がバンバン死ぬ。というか殺されるわけだが、その殺戮シークエンスの凝った演出には感心してしまった。


かといって笑っちゃうほどの派手な死に様があるわけではなく、そのほとんどが射殺シーンであり淡々と描かれるわけだが、細かい演出がとってもショッキングなのだ。


あるオッサンがサブマシンガンで蜂の巣にされるシーンがあり、このシーンが特に素晴らしかった。
至近距離で十数発もの弾丸をドカドカ撃ち込まれるオッサンを見るのは、とても刺激的でファンタスティック。
もちろん今まで、自動小銃による蜂の巣シーンなどいろんな映画で腐るほど観てはいるが、ここまで生々しく、かつスピーディーに蜂の巣にされるシーンは珍しい。
作り手もこのシーンに絶対の自信を持っているらしく、監視カメラの決定的証拠として、この蜂の巣シーンがありとあらゆる場所で再生されることとなった。


蜂の巣シーンというのは派手だしインパクトもある。
1秒間に数発の弾丸が飛び出す銃なので、撃たれれば終わり。致死率は最高レベルだ。
ゆえに、アクション演出の部類としては、それほど凝るようなものでもない気がする。
そいつに向かってドカドカ撃ち込んだ時点で、そいつはお陀仏だと誰もが理解するわけだから。
蜂の巣は蜂の巣であり、それ以上でもそれ以下でもない。


しかし、この作品において蜂の巣は蜂の巣以上のインパクトを残す。
目の前で人が蜂の巣になるという状況が、神がかり的な陰惨さで描かれるのだ。


この作品はハッキリ言ってとても面白い映画だし、緊張感もあってドラマチックな演出とミステリーな展開が見事な傑作なわけだが、どうしても序盤の蜂の巣シーンが始終アタマから離れない。


もちろん鑑賞後も、蜂の巣シーンについて考えずにはいられなかった。
このようにレビューを書くにあたっても、やはり蜂の巣シーンについて書かずにはいられなかったのだ。


蜂の巣。


この世で最もカンベンしたい死に方である。