『崖の上のポニョ』

巨匠宮崎駿監督の新作が来た。僕の暮らす旭川では、シネコンでの上映が無く、クルマの便の非常に悪い映画館での独占上映状態になっており、行くのが非常に面倒くさい。しかしこの作品は面白そうなのでぜひ見たかった。そこで有料の駐車場を使い、どうせカネかかるんだからとポップコーンやフランクフルトまで買い込み、数組の家族連れとともに鑑賞してきた。

はじめに断っておくと、僕は宮崎監督の作品にたいした思い入れがない。キライな作品はひとつもないが、これと言って好きな作品もない。強いて挙げるなら『紅の豚』と『千と千尋の神かくし』が好き、という僕の周囲にはあまりいないタイプである。以下はそんな僕が見たポニョの感想だと思ってもらうとありがたい。


いきなり結論から言うと、『崖の上のポニョ』は最高だった。こんなに面白いとは正直思ってなかったので大幅に期待を上回る作品だった。冒頭のシーンがいきなりすごい。今回宮崎監督はCGなどの技術は使わず、あくまでも鉛筆で描くんだ、と言い張っていた。それをメディアで見つつ、すごい執念だなぁと感じていたんだが、映像から伝わってくるのは執念をはるかにこえてほとんど怨念。大変なことになってます。

昔のアニメのような暖かさを求めたということなんだが、極まった技術を持つ人が描く絵のパワーというのはこんなにもすごいのかと思うような迫力。どこぞの批評では、最新のアニメを見慣れた子供には物足りないようだ、とか、ポケモンの影に隠れてしまったとか書いてあったけれど、そんなことはどうでもいいのです。この作品は半分芸術作品なのであって、100%のエンターテイメントではない。宮崎監督は『千と千尋~』あたりで向こう側の世界へ行ってしまい、『ハウル~』ではアートに傾いた感がある。そして今回は子供向けにということでそういうモチーフを選んだようだが、芸術が爆発した作品に仕上がった。

要するに、『千と千尋~』以降の宮崎監督に、ナウシカ的ヒロイニズムを求めてはいけないし、ラピュタ的冒険活劇も求めてはいけない。ポニョにトトロを求めた人にはあまり良い印象を与えないかもしれないが、映画好きの人にはむしろオススメできる作品に仕上がっていると思う。


総論はこのぐらいにして実際の映画体験を思い出してみることにする。

この作品は5歳の少年と金魚のポニョが出会い、いろいろあって大変なことになるという人魚姫の金魚版というか、そういうオハナシだ。少年の母は男勝りな女性で、その夫は船乗りとして海に単身赴任中。この母はクルマで一山超えたところにある介護老人ホームのようなところに勤めており、主人公の少年はそこに併設された保育園に通っている。

保育園の園児、老人ホームのばーさん連中(なぜかじーさんはいない)、介護師として働く女性たち。そして海からやってくる金魚のポニョ、その保護者であるナゾのへんなフジモトという男、ポニョのお母さんである女性(ほとんど神様みたいな状態で登場する)。

主だった登場人物はこんな感じだ。要するに若年層が一人も出てこない。宮崎アニメでは子供というのが希望の象徴として描かれ、老人が英知の象徴として描かれる。そしてその中間層は一切無いものとしてあることが多い。(唯一『紅の豚』ではこの空白の層ばかりが登場して活躍するので僕は『紅の豚』が好き)


物語はあらゆる部分で奇想天外なことが起こる。まず人面魚ポニョを見て、人面魚だぁと恐れるのは養護ホームのおばあちゃん一人。それ以外の人は何も疑問に感じない。

中盤、ポニョは魔法を使って人間の姿になり、少年と再会する。

このとき、この映画でもっとも大切な場面が訪れる。それは、魚だったポニョが人間の女の子になり、魚の波の上を突っ走って陸に上がり、少年のところにやってきた、というおよそ信じがたいぶっ飛んだお話を、彼の母はまったく疑いもせずに受け入れるところだ。

ポニョが少年の家にやってきて、一緒に食事をする。このとき、少年の母は少年の証言だけによってポニョが海からきた金魚の成れの果てであることを疑わずに受け入れ、あわてることもなく対応する。


この映画でもっとも重要なことは、子供を子ども扱いする大人が一人も出てこないということだと思う。少年は父親のことも、母親のことも名前で呼ぶ。呼び捨てで呼ぶ。父親のことは「コーイチ」、母親のことは「リサ」と呼ぶ。話している言葉はすべて対等の目線で受け入れられ、呼び合い方も対等。大人が子供の目線に降りてくるのではなく、子供が背伸びしているわけでもないのに、なんの無理も無く対等な関係が築かれているのである。ぶっ飛んだ話も疑われず、ポニョの母親が登場してさらにとんでもない話に発展していっても、誰一人「これは夢じゃあるまいか」などとは思わない。すべての突拍子も無い話は紛れも無い現実であり、それを疑う人はいない。


『トトロ』ではトトロと出会うのは子供だけで、子供たちが夢を見たという風にも解釈できる状態だった。『千と千尋~』でも両親はブタにされていて、あのほとんどあの世みたいな世界へ行ったのは千尋だけだった。

しかし今回はこの奇想天外な物語の中に、少年の親も、他の町の人たちも、養護ホームのオババたちも、みんな巻き込まれる。みんなで竜宮へ行くのである。ついに来るところまで来たというか、圧倒的な世界に到達したように思う。


ラストシーン。少年は大変な決断をありえないほどアッサリと行う。そしてそのことについて、親も口を出さない。すべては託されている。すべてのことがすべてアッサリと展開し、アッサリと終わる。今までの宮崎作品にはなかった達観した世界がここにはある。

そしてエンドロール。役職名が書かれず、「この映画を作った人」ということで声優も含め、スタッフの名前がギッシリと並ぶ。五十音順。どの役職でも関係なく、制作も原画も動画も撮影も声優も、すべてが対等である。


人も魚も大人も子供も対等。世界を救う決断をする少年は何一つ迷わず、悩まず。これは今までに無い映画です。オススメ!