『ザ・ダークナイト』

いったいどこへ行くのだろう。スーパーマンと対を成すダークヒーローとしてアメコミの人気キャラクターであるバットマン。旧シリーズの4作(『バットマン』『バットマン・リターンズ』『バットマン・フォーエバー』『バットマン&ロビン』)は、ダークヒーローとしての活躍を見せるアクション映画として作られていた。1作目の『バットマン』は個人的にもっともバットマンらしいというか、暗い画面とシンプルな展開で宿敵ジョーカーの恐ろしさを描いた秀作だったと思うが、その後はアクションや映像が派手になり、『バットマン&ロビン』に至ってはシュワちゃんまで出てきてドタバタするという、エンターテイメント作品としてシリーズを重ねてきた。賛否いろいろあるだろうが、僕は個人的に否のほうだ。

前作『バットマン・ビギンズ』。バットマンの言わばエピソード1として作られたこの作品は、いかにしてバットマンが生まれたかを描き、最新の映像技術を満載しながらもハデハデエンターテイメントではなく、そこかしこに暗さをちりばめ、ずっしりと重い作品として届けられた。これを僕は非常にうれしい気持ちで受け取った。バットマンが帰ってきた!と。

そして今作『ザ・ダークナイト』。

もはやタイトルに「バットマン」という名前が無い。この時点で気合が感じられるし、ただのバットマンじゃないぞ、という作り手側の意気込みも感じる。深読みするなら、「バットマン」と謳うことによって食わず嫌いを決め込むような人々にも見せたい、という意思さえ感じる。

はっきり言おう。今回の『ザ・ダークナイト』は一味も二味も違う。そんじょそこらの映画とは違う。この作品と同じようなことを伝えようとした作品は数あれど、これほどストレートに、わかりやすく、かつチープじゃない状態で映像化したものは無いのではないか。

『ザ・ダークナイト』にはヒーローとしてのバットマンが悪を倒すカタルシスなどは一切無い。本作に出てくる悪役はジョーカーであり、ジョーカーは旧シリーズの『バットマン』にも登場していたわけで、ここで倒されたりなどしない。これはジョーカーとバットマンが出会う物語であり、『バットマン・ビギンズ』と『バットマン』の間をつなぐ、エピソード2にあたる作品なのだ。この時点ですでに、「バットマンがジョーカーと出会い戦うが、決着はつかない」という筋書きが見える。なにしろ決着がついてしまったら『バットマン』につながらなくなってしまうのだから。

人は誰も、善意ゆえに悪に染まる。大切な誰かを守るため、なりふりかまわぬ正義を振りかざす。その結果として無関係な人に被害が及んだとき、その行為は善なのか悪なのか。被害を受けた人が復讐を誓い、そこにまた悪が生じる。ひとつの善意から無数の悪が生まれ、なおかつそこに悪意は存在しない。

究極で最悪の愉快犯として登場するジョーカー。彼はどう見ても狂っている。狂人である。発せられる言葉は狂気に満ち溢れていて、行動は果てしなく無目的に見える。しかし、一見狂っているように見えるジョーカーは、実は作品中でもっともまともなことを言っているし、なんとなく充満した「そこそこ平和」という空気の中でなんとなく生きている人が気づかないようなことを知らせようとしている。

誰に?

おそらく「気づくことができる人」に。
絶対悪として登場するジョーカーは、その存在から人々の間に敵意を生む。殺されたくない、愛する人を傷つけられたくない、という思いから人々はなりふりかまわぬ自分だけの正義を信じ、行使するようになる。ひとたび決壊してしまえば悪の連鎖によってすべてが崩壊し、世界が終わる。そのギリギリのところで保たれているのが現代の社会だ。満タンのダムからは、時々あふれたしずくが飛び出す。それが近頃よく見るようになった狂人的犯罪者ではないか。一見理解できないような理由で凶悪犯罪を犯す。そしてその犯人は、大半のケースでごく普通の人である。マフィアみたいな裏世界の住人ではなく、ごく普通にその辺に住んでる人が凶悪犯になる。昨日まで普通にスーパーで買い物したりしてたのに。
だが、そういったときどきこぼれるしずくはありながらも、まだ全体として、ギリギリではあるがダムは機能している。

ジョーカーはそのギリギリ保たれているダムにちょっとだけ穴を開けようとする。わずかなほころびで世界がどうなるのか、それを見せようとする。そして我らがバットマンはジョーカーに立ち向かい…


これはどんよりと世界を覆っているものが、どんよりと押し寄せてくる映画だ。バットマンに感情移入しながら見ていると、正義の心は悲しみに叩きのめされて恨みや怒りとなり、後悔や復讐心が芽生える。そしてもはやそこに正義はなく、どこで踏み違えたのだろう、とわからなくなる。自分だって簡単に悪に落ちるということを感じさせられる。そしてそれを否定するだけの根拠は何も無い。これほどおそろしいことがあるだろうか?


文句なしで、過去のどのバットマンよりも重く、暗い作品だけれど、個人的にはこれが最高だと思う。
そして旭川ケーブルテレビ(ポテト)の取材が来ていて、出てくるなり感想を聞かれたので超短く答えておいた。見た人いるかな?っていうかいつ放送されるんだろ…。

■追記■
※というようなことを書いてみたが、旧シリーズ1作目を見直してみたところ、どうもダークナイトのジョーカーと1作目のジョーカーは別人のようだ。というかジョーカーというキーワードがバットマンの中で重要なだけで、それは誰か特定の人物を指す名称ではないのかも。お話としてつながってるわけではないようです。