『ドクガス』

 俺は札幌が嫌いだ。


歴史の浅い土地であるばかりか、住み着いてる人間も浅い連中ばかり。
物事の表面ばかり見て判断し、中身を見ようともしない人種の集まり。
心が狭い奴やルールを守らない奴、自分の意見をハッキリ言わない奴も多い。
運転マナーに関しては史上最悪。
新しいモノにすぐに飛びつくわりに、すぐに飽きる。
イデアなどクソほども役に立たないと考える大人ばかりなので、文化レベルも果てしなく低い。


つまりは自分勝手な人間の集まりみたいな街なわけ。
統計的なものとしては、離婚率全国3位という確かな情報も頷ける。



俺はことあるごとに、札幌をクソッタレの街だと言ってきた。
その気持ちの中には、本気で札幌を嫌悪する気持ちと、どうにかしたいという気持ちが混在している。
今はゴミみたいな連中の溜まり場かもしれないが、俺たちが頑張れば少しは輝くことができるかもしれない。


映画フリーペーパー『ローデッド・ウエポン』を発行したとき、志としては「札幌の文化を向上させる」なんて大そうなスローガンを掲げていた。
結果は、底辺のボンクラ連中の胸に、ちょこっとだけ届いた程度だった。
それでも、俺みたいなアホンダラにも、何かを変えることができるということがわかった。


「少しくらい変えたって意味ないだろ」。
その通り。
一部のボンクラ連中に支持されたところで、街全体が変わるわけがない。


しかし、変えたいと思いながら、何ひとつ行動しない奴よりはマシだ。
俺は自分の考え方を世間に公表して、賛同を得ようと出来る限りの行動をしている。
そして、札幌にはそういった気合いの入った連中がたくさんいるんだ。



先日、とある劇場でのインディー作品鑑賞イベントに足を運んだ。
タイトルは『ドクガス』。
監督は南出惇介、札幌出身。
オール札幌ロケで撮られた、焦燥感と苛立ちに満ちた現代の若者を描く青春ドラマだ。


見えない未来と現実の虚無感の中で、世界を変えるためのささやかな反抗を企てる2人の青年。
息苦しい社会に蔓延する毒ガスから、なんとかして逃れようと走り出す。


見覚えのある街並みで展開する、見覚えのある痛々しさ。



「札幌の空は汚い」。



すべてはこのセリフに凝縮されていた気がする。
薄汚れた街の寒々しいヴィジュアルも、登場キャラたちのセリフも、札幌の終わりっぷりを見事にアピールしている。
しかし、作品そのものから漂うのはまぎれもなく「札幌への愛」だった


上映終了後に監督は自ら「僕は札幌が好きだ」と宣言した。
観客は誰もが「そんなことわかってるよ」と心の中で言っていたはずだ。



『ドクガス』の中の札幌が、とてもいとおしい街に見えた。
というか、もしかしたら監督の「札幌」を観る目に、強く惹かれたのかもしれない。
ゲリラ的に撮影された札幌の気の抜けたヴィジュアルが、無防備だからこそのパワフルさを表現していた。



クソッタレの街、クソッタレの社会、無関心をキメこむクソッタレの人々。
ノンキな世の中への不満とやり場の無いパワーに苦しむ2人の主人公は、まさに俺たちの青春そのものだ。



エキサイティングで胸踊る地下街でのゲリラ撮影、気が滅入るほどの馴れ合いを見せる友人たちとのシークエンス、そしてすべてを無くして1人彷徨う大通りの街並み、なにもかもがリアルで圧倒的迫力に満ちている。
この映画は、作品そのものが「戦って」いる。
最近観た、インディー・メジャー含めたどの作品よりも。



監督の南出惇介は、あくまで札幌にこだわるということを口にした。
それもまた、監督の戦いだと思った。
ドクガスの蔓延したこの札幌で、あえて映画を撮り続けたいだなんて。
もはや「映画」が、この監督にとってのガスマスクであるとしか言いようが無い。



この作品を観て、ちょっとだけ札幌を、そして札幌に生きる人たちを好きになった。