『ランボー 最後の戦場』

 コンビニで生クリームがどっぷり挟んであるツイストドーナツと缶コーヒーを買って某シネコンへと向かう。
受付スタッフに「ご覧になる映画はなんですか?」と聞かれ、思わず「ロッキー」と答えて失笑をかう。
気の利いたその女性スタッフは、微笑みながら「ロッキーは3番スクリーンになります」と言って『ランボー/最後の戦場』のチケットをくれた。
ノリでとっさの冗談を言える人間は、例外なく育ちの良い知的好奇心旺盛な人間だ。


劇場に入ると、ちょうど本編直前だった。
ギリギリ間に合ったようだ。
おもむろにドーナツと缶コーヒーを取り出して食い散らかす。
オープニングは、戦場や虐殺の実際のニュース映像がテンポ良くたれ流される演出だった。
無残な死体の山や、泣き叫ぶ子どもたち。
俺は無心でドーナツを口に放り込み、コーヒーをグビグビいった。
悲惨な現実が容赦なく目の前に晒される中、無心で食事をすることでしか理性を保てない自分がいた。


突如として後ろの席の客のケータイの着信音が場内に鳴り響いた。
ハレ晴れユカイ」。
テレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングテーマだ。
スクリーンには、依然逃げ惑う女性や子どもたちの痛ましい映像が流れている。


遠い国で起きている悲劇とノーテンキな着信音とのあまりのギャップに、怒りよりもむしろ宇宙の神秘のようなものを感じてしまった。
ハレ晴れユカイ」をBGMに惨劇の映像を見る。
こんなことがあってよいのだろうか?(いいわけねーよ)


ランボーという名の殺人マシーンは、バケモノ的強さで敵の虐殺軍団を一掃する。
ジャングルをウロウロ歩くランボー、びしょぬれのランボー、弓矢をひくランボー、鉄を打って武器を作るランボーなどなど。
ランボーに全く思い入れのない俺にとっては、興味のないシーンが続く。
しかしストーリーがあまりにも素晴らしく、緊張感が全く途切れることがない。
宣伝用チラシで紹介されたストーリーが、何のヒネリもなくそのまんま展開していく単純明快さ。
台本も必要最低限のセリフだけでまとまっていて、ほとんど無言のランボーの姿勢そのものだ.
あとはただひたすら凄惨な虐殺シーンが展開され、もうシッチャカメッチャカな状況が演出される。
天才的とも言えるセンスで、アクションシーンをたたみ掛け、ランボーが50口径のM2機関銃で悪党(ミャンマーさん)をバッタバッタとなぎ倒して終了。


ドデカイ弾丸で打ち抜かれた敵は、四肢がブッ飛んでバラバラになってしまうわけだが、このへんのCG処理がとても丁寧で恐れ入る。
殺戮シーンに命を賭ける製作サイドの心意気が素晴らしい。


なにより主役であるランボー氏が、見せ場であるクライマックスでこの機関銃を撃ってるだけなのが凄い。
20分近くずーっと機関銃を撃ってるだけ。
アクションといえば弾丸を入れ替えただけだ。
肉体的アクションはすべて他のメンツにまかせて、自分は高台で機関銃をドカドカ撃っている。
まさに王者の貫禄。


しかしこの作品のクライマックスは非常に哲学的だった。
政治的虐殺という名の意味の無い殺戮がもたらす意味の無い殺し合い。
生きるためには殺さなくてはならない状況で、平和的救いを訴えるキリスト教徒がとても滑稽に見える。
武器を持たずに戦場へ行く平和主義者が、容赦なくアッサリと殺されると我々はこう思う。


「それ見たことか」。


平和を訴えてた連中が、自らがもたらしたカオスな状況の中で何を感じて、そしてこの先何を信じるのか。
ランボー氏は、あまりにも機関銃を撃ちすぎたため引退。
戦場を後にして、だだっ広い農場を歩くランボー氏。
俺は涙をこらえるのに必死だった。
帰ってオナニーしよっと。