『ミスト』


 スティーブン・キングの作品が映画化し難い最大の理由は、そのキャラ設定の作りこみの深さにある。
物語やその展開・演出が映画的なのにも関わらず、キング原作の映画化作品はうまくいったものが少ない。
技術の進歩で、キング特有のブッ飛んだ演出やアイデアに満ちた異世界を表現することは可能となった。
しかし饒舌なキャラクターのバックボーンを描くのに、「映画」という限られた制限時間で説明するには限界がある。


キング原作で成功している映画作品の共通点は、間違いなくキャラが十分に描かれているって所だ。
フランク・ダラボン監督のキング原作作品は、物語の展開の中で主要キャラをうまく紹介している。
そして、何よりも短編を映画化しているという所がデカい。
キングの長編作品は、膨大なキャラクターとそれぞれが抱えている心の闇が究極に深い。
よって前半は、ほとんどキャラ紹介に費やすことになる。


ローレンス・カスダン監督の『ドリーム・キャッチャー』が長編のわりにうまくまとまってたのは、キャラ紹介に惜しげもなく時間を費やしたからだ。
しかし、そのぶん後半の展開が強引になってしまい、結局いい出来とはいえない結果に終わってしまった。
その点、ダラボン監督はリスクを冒さず、あえて短編狙いでキャラ紹介を最低限で効果的なのものにしている。
そこがキング原作映画化のプロフェッショナルたる所以だ。



『ミスト』は短編『霧』の映画化だ。
キングお得意の、H・P・ラブクラフトのテイストがふんだんに散りばめられた異世界モノ。
大量に登場するキャラクターも、ワンシチュエーションの舞台で話が展開するため、クセのある描きやすい人物ばかり。
モンスターのヴィジュアルさえ間違えなければ、映画化し易い内容なのは確かだ。


結論から言うと、『ミスト』はダラボン監督の最高傑作であり、数あるキング原作映画の中でもトップクラスの出来だった。
なによりも脚本が素晴らしい。
すべてのセリフが文句ナシの説得力。
こんだけセリフにうなずいた映画は珍しい。
展開に関しても、キャラクターの行動ひとつひとつがとてつもなく人間的だ。
極限状態のヒューマンドラマとして見事に計算されている。


現実を直視できない人、すべて受け入れる柔軟な人、誰かに責任転嫁する人、神にすがる人。
様々な性格を持ったキャラたちが、それぞれの役割を見事表現し、最高の見せ場を与えられる。
これこそがキング作品の醍醐味なわけだ。
とんでもなく憎たらしい奴の、最高に悲惨な死に様がカタルシスと共に訪れる快感。
心の弱い人間の愚かな行為、愚かな選択。
それがあまりにも人間的で、ドラマティックな感動を与えてくれる。


出現するモンスターの役割も、実はキャラクターたちの人間らしさ、愚かさを浮かび上がらせる要素のひとつでしかない。
残酷描写は派手で、ショッキングなものばかりだったが、キャラたちの人格を崩壊させる説得力はそこから生まれる。
これは単なる怪獣映画などではない。
究極の人間ドラマだ。


特にラストは素晴らしかった。
これぞ人間とも言うべき、想像しうる最悪の悲劇だ。
必見。