『ヒルズ・ハブ・アイズ』


 ホラー映画ってのはよくわからない。
なんらかの恐怖を描いていればそれはすべてホラーなのかもしれないし、人が無残に死ねばホラーなのかもしれない。
理不尽な死の恐怖に脅えて、逃げ惑いパニクったあげくに想像を絶する殺され方で最期を遂げるオッパイ丸出しの女。
あるいは隣人の狂気のターゲットとなり、気づかぬうちに肉体的にも精神的にも追いつめられてしまうオッパイ丸出しの女など。
とにかく恐怖に脅えていれば、それはホラーなのだろうか?

だとしたら、兵士たちが次々と無残にバラバラ死体になる戦争映画やサイコな変質者に付け狙われるサスペンス映画なども、ホラー映画というジャンルになってしまうじゃないか。
ホラーとそうじゃないものとの違いってなんすか!
羊たちの沈黙』と『悪魔のいけにえ』の違いってなんすか!
プラトーン』と『ゾンビ』の違いってなんすか!
かけた金額と脚本のインテリ度っすか!
バカな脚本や低俗な殺人は全部ホラーだってことっすか!


俺が思うに、一般映画とホラーの違いはもう単純に「ノリ」なんだよ。
作り手の「ノリ」が生む「狂気」こそが、ホラー映画をホラーたらしめている最大要素なんだ。
悪魔のいけにえ』の「狂気」は、ストーリーの狂気と作り手の狂気が融合したものだ。
『ゾンビ』には、大量消費社会という名の「狂気」とベトナム戦争での自らの狂気体験を再現しようとする作者のパワーが満ち溢れている。
「理性のフッ飛んだ人間」を描くのがホラーなのではなく、「理性のフッ飛んだ人間」が撮るからホラーなんだ!


まぁ、実際はよくわかんないけどね。
ぶっちゃけ宣伝がホラーだったら、それはホラーと認知されるわけだよね。
作り手の意図なんてまるで無視して、配給が勝手にホラーだったりサスペンスだったり、ひどい時はラブストーリーとかになっちゃったりするんだよね。
こんなホラーについて語るのなんて全く無意味なんだ。



そんなわけで『ヒルズ・ハブ・アイズ』なんだけどさ。


まぁ、とりあえずホラーなわけだけどね。
アレクサンドル・アジャって監督は、どうもいけ好かない印象がある。
この監督の『ハイテンション』という作品を観たときに、とてつもなく嫌な気分になったからだ。
それはストーリーとか展開とかそーゆうの以前の問題で、ホラー映画になぜ「上品さ」を求めるのかという点でとても不快になった。
『ハイテンション』は、血しぶきが飛び、登場人物たちは容赦なく惨殺され、何者かに追われる緊張感もとても良く表現されている。
しかし一見とても残酷極まりない展開に見えて、作品の根底にある冷静な計算が丸見えなのだ。
計算された恐怖が悪いと言ってるわけではないよ。
どんな映画だって、作者は計算して演出してるだろうし、それこそがホラーの醍醐味であるわけだけどね。
この監督の場合、そういった作り手の冷静さがスクリーンから丸見え。


ヒルズ・ハブ・アイズ』にしてもその冷静さは健在だった。
ストーリーは怖いし、やってることは残酷だ。
それなのに展開から狂気が全く感じられない。
狂人の殺戮集団が潜んだ隔絶された場所にいるのに、作り手の存在がアピールされすぎて緊迫感が薄い。
つまり「いま俺はこんな残酷な演出してます」という作り手の宣言が、各殺戮エピソードから恥ずかしげも無く垂れ流されているわけ。
いや面白いんだよ!
映画自体はよく出来ているし、展開も残酷描写もレベル高いんだけど、それゆえに作者の余計な思念が邪魔クサイのさ。


なぜ、こんなことになってしまうのか俺にも不思議だ。
最近になって、そういった作者自身の自己主張が伴ったホラー映画が増えてきた気がする。
何をカンチガイしてるかわからんが、とにかくオチとか説教とかそーゆうのはホラーにいらないんじゃないかなと思う。
もっと下劣で反社会的で差別的で変態で、見た後にどうしよもなく陰惨な気分になって、帰り道でゲロ吐いちゃうみたいな感じでいいんじゃない?
そーゆうのを裏で計算しながら作ってほしいなと。


カッコつけたホラーなんていらねーんだよ!


とにかくこの監督は、もっと志の高い映画(ハリウッド大作)を撮ったほうが良いと思う。
才能あるんだから。