追悼、水野晴郎

 水野晴郎が死んだ。


俺たちの閣下が。
日本を代表する最高の映画監督、水野晴郎が。
一般的には映画評論家、あるいは映画解説者といったほうが馴染みが深いかもしれない。
しかし、俺たち映画好き人間にとっては、水野晴郎こそが最高の映画監督であるという認識に異論はないだろう。


水野晴郎が撮った映画『シベリア超特急』(以下:シベ超)は、正真正銘のエンターテインメントだった。


シベ超』は、低予算・学芸会ノリの脚本・主演者の演技力皆無・繰り返される内輪ウケ・無駄なカメラワーク等、ハリウッド大作とは全く逆の存在に位置する作品でありながら、そのポテンシャルエネルギーはハリウッド大作の数倍にも及ぶと言われる、いわばカルトムービーの最高峰だ。
熱狂的なファンを生み、シリーズも回を重ねて(確認できる限り)5作目まで公開。6作目があったのかわかんなくて、4作目と7作目は舞台で公演された。
それだけではない。
シベ超』には各作それぞれに別バージョンが存在する。
たとえば、1作目はオリジナル版の他に「完全版」「ダブルマーダーバーション」などがあり、アメリカ公開版ディレクターズカットやハンガリーバージョンまであるというウワサもある。
2作目以降もなんだかんだとイロイロあるらしいが、ハッキリ言ってどーでもいい。
俺は熱狂的ファンではないので、シリーズ全作(舞台の4と7は映画バージョン)観てはいるが、すべてオリジナル版のみだし、他バージョンを観たいとも思わない。


しかし『シベ超』がなぜ日本最大のカルトとして君臨し、半ばキチガイとも思える熱狂的支持者を集めているのかという部分に関しては理解できる。
シベ超』には映画への愛と、映画ファンへの愛、そして人間全体への愛が溢れている。
一見ワルノリともとれる演出やストーリー展開にも、純粋無垢な「楽しもうぜ」という想いが込められている。


「映画を楽しむ」。


これこそが『シベ超』好きな人たちに与えられた使命であり、『シベ超』シリーズが皆に与えつづけた恩恵だ。


最後に観た『シベ超』は、最後に見た水野晴郎だった。
2005年の「シベ超まつり」で公開された『シベリア超特急5』。
閣下の元気な姿を今でも思い出す。
すでにツッコミ役(いろんな意味で)のボン西田氏との絶妙なコンビネーションは神の領域にまで昇華していた。


肝心の作品自体も素晴らしい出来だった。
今までのシリーズ作品とは比べ物にならないほど凝った作りになっていたし、ユニークなアイデアとサービス精神満載の集大成的内容だった。
俺は腹を抱えて大笑いし、改めて『シベ超』の奥深さ、楽しさ、素晴らしさを痛感した。


俺は映画好きとして、『シベ超』を心の底から尊敬している。
故に『シベ超』の鑑賞を万人に勧めようとは思わない。
シベ超』は楽しめる人間だけが楽しめばいい、今世紀最大のカルトムービーだ。
シベ超』は語る映画ではない。
楽しむ映画だ。


今回俺は、水野閣下の追悼をこめて『シベ超』を振り返った。
シベ超』がもたらしてくれた様々な出会いや感情を思い出した。
もはや『シベ超』は俺の一部となっている。
俺は『シベ超』と共に生きていく。そしてこれからも映画を観つづける。



水野閣下のご冥福を心よりお祈りいたします。