『ハロウィン』

  ここに、少年時代からホラー映画に慣れ親しんだ、骨の髄までホラー好きなメタルロッカーがいる。

仮に名を、ロブ・ゾンビとしよう。


ロブ・ゾンビ(仮名)には、ホラーに傾倒するキッカケとなった映画があった。

仮にタイトルを『ハロウィン』とする。


ロブ・ゾンビ(仮名)は『ハロウィン(仮)』を何度も何度も繰り返し鑑賞した。
まさにビデオテープが擦り切れるほど再生と巻き戻しを重ね、ついには、ビデオデッキなんか無くても、ビデオのパッケージを見るだけで、脳内で映画が上映されるまでになった。


もはや『ハロウィン(仮)』は、ロブ・ゾンビ(仮名)の脳の一部だった。
ロブ・ゾンビ(仮名)本人が意識せずとも、彼の行動すべてに、なにかしらの『ハロウィン(仮)』的影響が及んでいた。


ヘヴィメタルのバンドを組んだ際も、ソングライティングの段階で『ハロウィン(仮)』のことを思い浮かべずにいることは不可能だった。
音楽の世界でビッグになって、いつか『ハロウィン(仮)』をリメイクするというのが彼の夢だった。


彼は『ハロウィン(仮)』について知りすぎていた。
作品の実際の作者、仮にジョン・カーペンターという名前の監督としよう。
そのカーペンター監督(仮名)でさえも知らない『ハロウィン(仮)』の真実を、ロブ・ゾンビ(仮名)は知っていたのだ。


作者でさえ知りえない作品の真実。
そんなものが存在するのだろうか?


もちろん理論的にはありえない。
作品において、創造主たる作者こそが全能の神である。
作者が知らないことというのは、つまりは存在しない事象。
作品とはまったく別次元の妄想に他ならない。


しかし『ハロウィン(仮)』を愛しすぎていたロブ・ゾンビ(仮名)は、もはや『ハロウィン(仮)』そのものと化していた。
それはすなわち、ロブ・ゾンビ(仮名)の人格そのものが、カーペンター監督(仮名)によって作られた創造物であるということなのだ。


ロブ・ゾンビ(仮名)の思考は『ハロウィン(仮)』という作品そのものの思考であり、ゆえにそれはカーペンター監督(仮名)の創造した思考ということになる。


その証拠に『ハロウィン(仮)』の劇中テーマソングは、常にロブ・ゾンビ(仮名)の中で鳴り響いていた。
あまりにも日常的すぎて、彼にとっては「冷蔵庫のモーター音」や「時計が針を刻む音」が気にならない事と変わらない。
『ハロウィン(仮)』のテーマと『ハロウィン(仮)』的思考(つーか、それってナニ?)を自ら発しながら、ロブ・ゾンビ(仮名)は今まで生きてきた。


そして、ついに運命のときが訪れる。
ロッカーとして成功した彼のもとに『ハロウィン(仮)』リメイクの話が舞い降りたのである。


もちろんロブ・ゾンビ(仮名)に断る理由などなにもない。
二つ返事でオーケーし、何の迷いもなく『ハロウィン(仮)』のリメイクを作り上げる。


リメイク版『ハロウィン(仮)』は、ロブ・ゾンビ(仮名)のこれまでの人生ともいうべき内容となる。
当然のように、オリジナルとはまったく別のアプローチで展開し、オマージュも存分に捧げられる。


作品には、オリジナルの持つ不透明なるモノの存在といった不気味さがまったく無い。
すべてが鮮明であり、すべてが明るみに出ている。
なぜなら、ロブ・ゾンビ(仮名)には『ハロウィン(仮)』のすべてが、手に取るようにわかるからだ。


『ハロウィン(仮)』が25年の時をえて、ついにその全貌を見せたのである。