『ノーカントリー』

 大勢の人たちで賑わう繁華街を歩いていると、タマにブツブツと独り言をつぶやきながらウロウロしているキチガイみたいな人を見かける。
イキナリ奇声を発したり、挙動不審なアクションで周囲の人々を戦慄させている存在。
そういった人を眺めていると、いろいろと考えてしまう。
「狂っているのはこの人だろうか?それとも俺たちだろうか?」
おそらく自分たちは狂っていないと考えるのが普通だ。
ほとんどの人は、自分は正常だと思っている。
「自分はまともな人間で、まともな暮らしをしていて、まともに働いている。将来はもうちょっと出世して、家族と幸せに暮らすような、まともな人生を送るはずだ。」
そんなことを漠然と考えて生きているに違いない。


狂った考えだ。


人生はコイントスみたいなものだ。
ブン投げて裏か?表か?みたいな状況になり、それを自分の経験や周りの状況に応じて判断し、すべてを賭けて行動する。
判断を間違えたら不幸な結果となる。
時間を無駄にしたり、金をドブに捨てたり、死んだりする。
裏か?表か?
人生はそんなものだと思う。
まともな人生なんてものは存在しない。
運が良いか?悪いか?だけだ。


ノーカントリー』の登場人物は、みんなテキトーに死ぬ。
関係ある奴も、関係無い奴も、みんなあっけなく殺される。
そういう映画なんだね、コレは。
とっても面白い作品だった。
緊張感に満ちていて、リアルで、陰惨で、ユーモアたっぷりで、哲学的でファンタスティックだ。
すべて不条理で、暴力的で、無慈悲だ。
まさに人生そのもの。
劇中、凄惨な殺戮の合間に、保安官のトミー・リー・ジョーンズがノンキにボヤくシーンが挿入されて、それがとても楽しい。
いろんな登場人物の無駄死にが、とても楽しい。
みんな無駄死にするんだね。
本当に。哀しいことだけど、真実なんだよ。
それがわからない人たちにとって、この映画は理解できない作品かもしれない。
「気分が悪くなった」「オチが無い」「意味がわからなかった」そういった感想ばかりの本作品。
自分があっけなく無駄死にするってことがわからない人たち。
そんな幸せな人たちが観るような作品ではない。


秩序や道徳心なんてものは、人それぞれの価値観なんだよね。
そんなものは気休めでしかないわけよ。
状況に応じて、価値観なんてものは変わるわけだから。
この作品の登場人物の中で、唯一無垢で純粋な存在が、狂気の塊みたいな殺し屋の男だ。
どんなときも、自分の秩序に忠実に行動するその姿は、神々しささえ漂ってた。
世界は狂っていて、こいつだけ狂ってないのかもしれないとも思わせた。
そう。まともなのは殺し屋だけ。
そんな国。
ノー・カントリー。